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予告編


イントロダクション


本作は、「筑紫哲也NEWS23」でキャスターを務め、筑紫哲也氏の薫陶を受けた 佐古忠彦 初監督作品。作品の主旨に共感した 坂本龍一 による、オリジナル楽曲書き下ろし。さらに、語りには、名バイプレイヤー、大杉漣 が参加。



アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑んだ男、瀬長亀次郎のドキュメンタリー映画。
なぜ、沖縄の人々は声を上げ続けるのか、その原点はカメジローにあった━。



Photo 第二次大戦後、米軍統治下の沖縄で唯一人"弾圧"を恐れず米軍にNOと叫んだ日本人がいた。「不屈」の精神で立ち向かった沖縄のヒーロー瀬長亀次郎。民衆の前に立ち、演説会を開けば毎回何万人も集め、人々を熱狂させた。彼を恐れた米軍は、様々な策略を巡らすが、民衆に支えられて那覇市長、国会議員と立場を変えながら闘い続けた政治家、亀次郎。その知られざる実像と、信念を貫いた抵抗の人生を、稲嶺元沖縄県知事や亀次郎の次女など関係者の証言を通して浮き彫りにしていくドキュメンタリー。



JNNだけが持つ、当時の貴重な資料映像の数々をふんだんに盛り込んだTBSテレビが本気で製作した映画が遂に公開。



Photo 2016年TBSテレビで放送されたドキュメンタリー番組が、第54回ギャラクシー賞月間賞を受賞するなど高い評価を得ており、映画化を熱望する声を受けて、追加取材、再編集を行って映画化。沖縄戦を起点に、今につながる基地問題。27年間にわたったアメリカの軍事占領を経て、日本復帰後45年が経っても、なお基地が集中するなか、沖縄の人々が声を上げ続ける、その原点…。それは、まさに戦後の沖縄で米軍支配と闘った瀬長亀次郎の生き様にあった。JNNだからこそ保存されていた貴重な未公開映像やインタビュー、そしてアメリカ取材を交えて描き切る。





沖縄の戦後史、
そこで闘った男の生き様を知れば、
地続きの歴史が見えてくる。


沖縄返還45年。
日本国憲法施行70年。
瀬長亀次郎生誕110年。


Story


男は、ガジュマルをこよなく愛した。
「どんな嵐にも倒れない。沖縄の生き方そのもの」だと。
那覇市を、かつてたった11ヶ月だけ率いた、
その男が好んで使った言葉がある。
それは「不屈」。
1945年の終戦後、沖縄で、民衆の先頭に立ち、
演説会を開けば毎回何万もの人を集めた男。
その名は、瀬長亀次郎。団結して立ち向かったのは、
戦後沖縄を占領したアメリカ軍の圧政。
祖国復帰へ向けて民衆をリードした、
その人物は、アメリカが最も恐れた男だった━。









Photo

瀬長亀次郎 PROFILE



1907年6月10日、沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に生まれ。沖縄県立二中(現、沖縄県立那覇高等学校)、東京・順天中学(現、順天中学校・高等学校)を経て旧制第七高等学校(現、鹿児島大学)に進んだが、社会主義運動に加わったことを理由に放校処分となる。

1932年に丹那トンネル労働争議を指導して治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑を受ける。

1936年に沖縄朝日新聞記者になり、1938年7月に兵役召集され「中支」へ。1940年に復員し、毎日新聞那覇支局記者として活動。戦後は田井等市助役として避難民の救援にあたる。1946年にうるま新報(現、琉球新報)社長に就任。翌1947年、沖縄人民党結成に参加。1950年に沖縄群島知事選挙に出馬するが、落選。しかし、1952年の第1回立法院議員選挙では最高得票数で当選を果たす。この選挙後に開催された琉球政府創立式典で宣誓拒否したことで占領軍から睨まれることとなる。

1954年10月 沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕される。弁護人なしの裁判で、懲役2年の判決を受け投獄された(沖縄人民党事件)。

1956年4月に出獄後、同年12月に行われた那覇市長選に出馬する。米軍から妨害を受けるものの、当選を果たす。その後、占領軍出資の銀行による那覇市への補助金や融資、預金の凍結の措置に遭うが、多くの市民が米軍の弾圧から瀬長を助けようと、自主的な納税に訪れ、納税率は97%にもなったといわれる。これにより自主財源による公共工事再開など、市政運営の危機を脱する。一方、占領軍の意向も働き、反瀬長派は7度にわたる不信任決議を提出するが、いずれも不発に終わる。しびれを切らした占領軍は1957年、高等弁務官ジェームス・E・ムーア陸軍中将が布令を改定(米民政府高等弁務官布令143号、通称「瀬長布令」)、瀬長は追放され、投獄の過去を理由に被選挙権も剥奪された。市長在任期間は一年足らずであったが、那覇市政をめぐる米軍との攻防は、瀬長に対する沖縄の住民の絶大な支持を呼んだ。

1966年12月に被選挙権剥奪規定廃止で被選挙権を回復。翌年、拒否されつづけたパスポート取得が17回目の申請で許可され、11年ぶりの上京。1968年 立法院議員選挙に最高得票で当選する。1970年、戦後初の国政参加選挙で衆議院議員に当選、以降7期連続当選を果たした。1990年に衆院議員勇退。2001年10月5日死去。享年94。

■不屈館HPなどより


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<略歴>



1907年 沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に誕生
1932年 治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑で投獄
1936年 沖縄朝日新聞記者になる
1938年 兵役召集され「中支」へ
1940年 復員し、毎日新聞那覇支局記者になる
1946年 うるま新報(現、琉球新報)社長に就任
1952年 第1回立法院議員選挙で最高得票数でトップ当選
1954年 沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕
1956年 那覇市長選に出馬し、当選
1957年 市長の座から追放 *瀬長布令
1966年 瀬長布令の廃止により、被選挙権を回復。
1968年 立法院議員選挙で当選
1970年 戦後沖縄初の衆議院議員に当選 *以後7期連続当選
1990年 衆院議員勇退
2001年 死去 *享年94歳




沖縄と米軍基地の歴史的側面




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沖縄の米軍基地ができた歴史的背景


豊かな自然と独特な文化を有する沖縄は、太平洋戦争において、史上まれにみる熾烈な地上戦が行われ、「鉄の暴風」と呼ばれたほどのすさまじい砲撃により、緑豊かな島々は焦土と化しました。
沖縄に上陸した米軍は、住民を収容所に強制隔離し、土地の強制接収を行い、次々と新しい基地を建設していきました。住民は土地を有無を言わさず奪われました。
日本本土では昭和31年(1956年)の経済白書で「もはや戦後ではない」とされ、高度経済成長が始まりましたが、ちょうどその時期に、本土の米軍基地の整理縮小の流れを受けて、本土から沖縄に海兵隊の移転が進みました。
戦後、沖縄は、昭和47年(1972年)の本土復帰まで27年間にわたり、米軍の施設権下にありました。本土復帰後も、本土では基地の整理縮小が進む中、沖縄には多くの米軍基地が日米安全保障条約に基づく提供施設・区域として引き継がれ、県民は過重な基地負担を背負うことになり、現在もその負担は重くのしかかっています。



米軍統治下における沖縄の状況


Photo 戦後すぐの昭和20年(1945年)から昭和24年(1949年)までの5年近く、本土では戦後の復興政策が図られる中、沖縄はほとんど放置状態で「忘れられた島」と言われました。これは、アメリカの軍部と政府側の調整に時間がかかり、明確な統治政策が図られなかったためです。
その後、昭和24年(1949年)5月にアメリカ政府は沖縄の分離統治の方針を決め、昭和25年(1950年)2月にGHQが沖縄を恒久的基地を建設する声明を発表し、沖縄の分離統治を決定しました。この時から米軍による沖縄の基地化が進んでいきました。
昭和27年(1952年)にサンフランシスコ講和条により日本は独立国としての主権を回復しますが、その代償として、沖縄は日本本土から分断され、米国の施政権下に置かれました。沖縄には日本国憲法の適用もなく、国会議員を送ることもできませんでした。
また、米軍の施政権下におかれた沖縄は、27年もの間、日本政府から十分な支援を受けることができませんでした。その結果として、昭和47年(1972年)に本土に復帰した時の沖縄は、道路、港湾、学校、病院、住宅など社会資本のあらゆるものが不足していた状況でした。




米軍基地問題


沖縄の米軍基地の規模

沖縄にある米軍基地の状況


沖縄県には、31の米軍専用施設があり、その総面積は1万8,609ヘクタール、沖縄県の総面積の約8%、人口の9割以上が居住する沖縄本島では約15%の面積を占めています。その規模は東京23区のうち13区覆ってしまうほどの広大な面積です。
沖縄が本土に復帰した昭和47年(1972年)当時、全国の米軍専用施設面積に占める沖縄県の割合は約58.7%でしたが、本土では米軍基地の整理・縮小が沖縄県よりも進んだ結果、現在では、国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70.6%が集中しています。(平成29年1月1日現在)



※ 米軍専用施設…自衛隊が管理する共用施設とは異なり、専(もっぱ)ら日米地位協定のもとで管理、運営され、基本的にはその運用に国内法が適用されず、また、立ち入り許可なども米軍の裁量によりなされる施設

※ 本ページで記載している面積、割合等は米軍専用施設のものであり、米軍が自衛隊等の施設を一時使用(共同使用)している面積は除いています。


米軍専用施設面積の割合



沖縄の米軍基地



佐古忠彦 監督 PROFILE


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1988年 TBS入社
1996年~2006年 筑紫哲也NEWS23
2006年~2010年 政治部
2010年~2011年 Nスタ
2014年~2017年 報道LIVEあさチャン!サタデー
Nスタニューズアイ
2013年~ 報道の魂(現 JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス)プロデューサー



近年では


2013年 「生きろ~戦場に残した伝言」
2014年 「生きろ~異色の司令官が伝えたこと」「茜雲の彼方へ~最後の特攻隊長の決断」
2015年 「戦後70年 千の証言スペシャル 戦場写真が語る沖縄戦・隠された真実」
2016年  報道の魂SP「米軍が最も恐れた男 ~あなたはカメジローを知っていますか」などを制作



監督が考えるみどころ


住民が暮らす場所で唯一の地上戦が行われ、とてつもない犠牲を強いられた上に、27年に及びアメリカに軍事占領された沖縄の戦後の歩みは、日本本土とは全く違う。
その沖縄戦後史を瀬長亀次郎の生きざまをとおしてみることで、いまの沖縄の闘いの意味が見えてくる。現代の人間が「あなたならどうする」と教えを乞う「亀次郎」が残した言葉。
米軍機密資料に隠されていた占領軍と亀次郎の闘いの痕跡。
歴史を解き明かす未公開映像と証言。
そこにみえるのは、昔話ではない、私たちが生きる「いま」だ。




上映劇場



北海道・東北


都道府県 都市 劇場名 公開日
北海道 札幌 シアターキノ 10月21日
北海道 苫小牧 シネマ・トーラス 近日公開
青森 八戸 フォーラム八戸 11月11日
宮城 仙台 フォーラム仙台 9月23日
山形 山形 フォーラム山形 11月11日
山形 東根 フォーラム東根 11月18日
山形 鶴岡 鶴岡まちなかキネマ 11月4日
福島 福島 フォーラム福島 11月11日



関東


都道府県 都市 劇場名 公開日
東京 渋谷 ユーロスペース 8月26日
神奈川 横浜 横浜シネマ・ジャック&ベティ 10月28日
神奈川 横浜 港南台シネサロン 11月25日
埼玉 三郷 MOVIX三郷 12月2日
千葉 キネマ旬報シアター 10月28日
群馬 高崎 シネマテークたかさき 10月7日
長野 長野 長野ロキシー 11月25日
長野 東筑摩 アイシティシネマ 11月25日



東海


都道府県 都市 劇場名 公開日
愛知 名古屋 名演小劇場 9月23日
愛知 豊田 トヨタグランド 11月25日
静岡 静岡 静岡シネ・ギャラリー 10月14日
静岡 浜松 シネマイーラ 11月4日
静岡 駿東郡 シネプラザサントムーン 11月25日
三重 伊勢 進富座 11月18日



北陸


都道府県 都市 劇場名 公開日
新潟 新潟 シネ・ウインド 11月18日
石川 金沢 シネモンド 12月2日



近畿


都道府県 都市 劇場名 公開日
大阪 十三 第七藝術劇場 9月16日
大阪 十三 シアターセブン 9月16日
大阪 大阪 シネマート心斎橋 9月23日
京都 京都 京都みなみ会館 9月23日
兵庫 神戸 元町映画館 9月16日
兵庫 尼崎 塚口サンサン劇場 10月28日



中国・四国


都道府県 都市 劇場名 公開日
岡山 岡山 シネマ・クレール 11月11日
広島 広島 横川シネマ 11月1日
広島 尾道 シネマ尾道 11月4日
愛媛 松山 シネマルナティック 11月18日
徳島 徳島 徳島映画センター 9月23日
香川 高松 ホール・ソレイユ 11月18日



九州


都道府県 都市 劇場名 公開日
福岡 福岡 KBCシネマ 10月7日
佐賀 佐賀 シアターシエマ 10月21日
大分 大分 シネマ5 10月7日
熊本 熊本 Denkikan 10月21日
宮崎 宮崎 宮崎キネマ館 10月14日
鹿児島 鹿児島 ガーデンズシネマ 11月11日
沖縄 那覇 桜坂劇場 8月12日
沖縄 沖縄 沖縄市民小劇場あしびなー 上映終了
沖縄 宮古島 よしもと南の島パニパニシネマ 上映終了





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